ココニコのキモチ

心(ココロ)+笑顔(ニコニコ)=ココニコ

いろどり工房ココニコ管理人(ボランティア)のキモチブログです。日常生活と本職(教育分野)の気づきのお話をしています。

歴史の重みが崩れていった瞬間のお話

4月の最初の金曜日。
平日だけれど、お休みの日。
やりたいことがあって、家でパソコンと向き合っていると、我が奥様が話しかけてきた。

「今日はどうするの?」
予定はないと言おうとして、「今日はいい天気ね」と朝に言われたことを思い出し、「どこかに散歩に行こう」と言い直しました。

 

ということで、を見に行くことになりました。

 

調べて見ると、家から一番近くて、有名な桜の名所は「小金井公園というところにありました。

小金井公園は名前には「小金井」の文字がありますが、小金井市だけでなく、一部分は小平市武蔵野市西東京市と4つの市にまたがっていました。
面積は約80ha。
数字だけでは広さがわかりにくいですが、日比谷公園の4.8倍もありました。


この公園が桜の名所として有名なのだそうです。
50種類、約1700本の桜が植えられているのです。
園内には「桜の園」という場所もありました。
確かにいいお天気でしたので、電車ででかけました。

 

西武新宿線花小金井駅で下車。
20分ぐらいの道のりを歩いて行きます。
途中からまっすぐな道になりました。

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まっすぐな道が続く様子は気持ちがいいものです。


小金井公園の手前でこんな標識にに出くわしました。

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石神井川の上流端です。
標識の下をのぞいてみました。

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上流端、つまり川の端っこはこんな風になっていたんですね。
東京を東西に横断し、隅田川にまで注ぐ川の端っこです。
びっくりでした。
川の端っこは湧き水のようなものでも出ているかと思っていたのですが、川の端っこは、コンクリートで固められていました。
ふむふむ。


「これでは大雨の時にすぐにあふれちゃう
我が奥様がこんな感想を話していました。
何か見てはいけないものを見てしまったような気分です。
そそくさと小金井公園に入ります。
しばらく行くといこいの広場というとても広い空間に出て、その周りに桜の木があちこちにありました。

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桜を眺めていると、こんな標識が。

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見えない貯水池が地下に眠っているそうです。
標識を読んでみます。

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この公園には、はげしい雨が降った時、たくさんの雨水がいっぺんに「石神井川」へ流れこまないように左の図のようなしくみがつくってあります。
 雨が降りはじめると雨水は、地下につくった施設の中に入ります。この施設には、水を土の中に浸みこませるはたらきがあります。したがって少しの雨であれば、雨水はみんな土の中に浸みこんでしまいます。しかし、たくさんの雨が降ってきた時は、水の浸みこみが間に合わなくなり、雨水は皿のような広場に貯まって、いこいの広場が池のようになります。
 雨がやむと水はゆっくりと時間をかけて少しづつ「石神井川」に流れていきます。そして、貯まった水はいつのまにかなくなってもとのとおりになり、池は消えてしまいます。
 つまり「見えない 貯水池 」というわけです。
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なるほど、先ほどの石神井川の上流端で、我が奥様は
「これでは大雨の時にすぐにあふれちゃう」
と言っていましたが、すぐ近くにこの「見えない貯水池」があるからある程度は大丈夫なのでしょう。

 

しばらく歩いて行くと、お堀のようなところの向こう側にいろいろな形の建物が見えてきました。


何かの施設の前に出てきました。
施設の両側に丸い形の大きな木がありました。

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キンモクセイの木でした。
なんと美しい丸い木でしょう。
ほぼまん丸です。
キンモクセイの花が咲いたらきれいでしょうね。

 

さて、入り口に丸いステキなキンモクセイの木があった施設は、江戸東京たてもの園でした。

江戸東京たてもの園の入り口から前の広場を眺めるとこんな雰囲気です。

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桜を見に来たつもりが、失われてゆく江戸や東京の歴史的な建物を移築して保存している施設に突入しようとしています。我が奥様は私の興味関心を理解してくれているのか、素直についてきてくれます。
ひとり400円でした。


入り口で管内の説明書をもらい、ぱらぱらとめくり確認しましたが、どう考えても半日コースになりそうな建物の数でした。

でも午後にいいお天気ねで始まったお散歩なので、江戸東京たてもの園はあと2時間ぐらいしか開いていません。

どこに行くか思案していると、「好きなところに行ってね」と奥様は言ってくれています。
説明書でここは行きたいという場所が何カ所かあったのですが、これはすごい!というひとつの目的地を定めて、そこに行くことにしました。目的地までの道すがら、一応、ちらっと建物を外から見たりしましたが、目的地へ一直線です。

 

この建物です。

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ある歴史上の人物が住んでいた邸宅です。
入り口に待ち時間○○分という立て札があったと奥様が言っていましたが、今日は平日。がらんとしています。好き放題に見て回れます。土日は大混雑なのでしょう。
その歴史上の人物を思いながら、部屋の前、入ってもいい部屋、廊下・・・あちこちを眺めてまわりましたが、そのうちその場に座って写真をパチパチとりながら、物思いにふけります。

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奥様はああ始まった・・・という感じで何も言わずに自由にさせてくれています。
家というのは、住む人の視線で見て、感じないといけないと思うのです。だからその場に座ります。歴史上の人物が住んだ場所に座れるというのはすばらしいことです。

 

座りながら、iPhoneでその歴史上の人物について調べます。
便利な時代です。
やっぱり・・・。
私が行くべき最終目的地は二階でした。

 

二階に上っていきます。
すごく急な階段です。

 

昭和11年2月26日。
この階段を勢いよく登っていった若者の集団がいました。


2月26日。
そうです。
この邸宅は二・二六事件で暗殺された高橋是清の家なのです。

 

総理もつとめたことがある高橋是清二・二六事件当時は大蔵大臣でした。
世界恐慌で混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させたことで有名ですが、インフレの兆候が出始めたので緊縮政策をとろうとして、陸軍などの軍事予算の削減を図りました。このために恨みを買い、襲撃の対象となったのです。

 

二・二六事件の襲撃部隊が駆けあがった階段はこんなに急だったのかと感慨にふけりながら、二階に進みました。
高橋是清は胸を6発撃たれ、軍刀でとどめを刺され暗殺されました。
享年83歳でした。
愛称は「ダルマさん」で国民から親しまれていた政治家です。

 

二階に入るとすぐのところに説明が書かれた立て札がありました。

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寝室と書斎が二階にあり、ここで暗殺されたのです。

 

二階でかなり長い間うろうろしたり、座ってじっと考えにふけったりしていました。
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我が奥様もあまりにも長くいるので、じっとたたずんでいました。

高橋是清の書いた書の複製ではありますが、一行書「不忘念(ふもうねん)」の前で静かに見入っています。

思わず、カメラをパチリ。

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二階から外を眺めるとこんな感じです。

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当時は赤坂にあった高橋是清邸ですが、どんな風景が見えたのでしょう。
あまりにも長くいたせいでしょうか。
あやしい二人と思われたのか、施設の管理をされている方が二階にやってきて、ちらちらと私たちのほうを観察していました。


私も満足できたので、では下に降りようかと、思い始めた時、二十代半ばぐらいの若いカップが二階にあがってきました。
入り口の立て札を見ると、カップルの男性のほうが驚愕の言葉を発しました。

 

「ここ事故物件だよ」

 

目が点になりました。
そういう発想があるのか!
ただただびっくりでした。

 

歴史にふれることができ、高橋是清が最後を遂げた空間で歴史の重みの想いにふけっていた空気感ががらがらと音をたてて崩れていきました。

 

「えっここ事故物件なの?」
カップルの女性が男性に聞いています。

違う!
そんな発想をしてはいけない!
歴史を感じなさい!
・・・・

本当はそう言いたかったのですが、相手は見ず知らずの方々。それにもう大人。

 

我が奥様はカップルの会話にまったく気づいていない様子でしたが、施設の管理の方は気づいた様子で、目を大きくまん丸にしていました。

 

歴史の重みにひたっていたのが、気持ちが乱れたので、カップルが下に降りていくまで、二階で過ごすことにしました。
もう一度、気持ちを歴史に向き合わせ、落ち着かせてから、高橋是清邸を後にしました。

 

この日は17時半が閉館の時間。
結局、高橋是清邸ともう2箇所だけを慌ただしく見てオシマイになりました。
我が奥様が着目したのはこんな特徴的な場所でした。

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この畳の敷き詰め方。
なるほど、おもしろい。

 

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この窓の鍵。
確かに昔はこんな鍵がありましたね。

 

まったく違うことに着目するので、一緒にいるとおもしろいです。
外にでると、金曜日だというのに、桜のまわりに人がいっぱいでした。

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桜を見に行ったつもりが、高橋是清邸にほとんどの時間を使い、とどめが「事故物件」という言葉。
なかなかステキな金曜日のひとときになりましたが、我が奥様はどう感じた一日だったのでしょう。。。

つくられた心 Artificial soul

童文学の界隈には、ステキな小説を書く方がいる。
私が小説についてステキという言葉を使う時は心から称賛している時だ。
好みによって違うとは思うが、少なくとも無我夢中になって読む人が多いと思っている。

今回紹介するのは佐藤まどかさん
東京出身の方だが、今はイタリアに住んでいる。
デザイン専門誌にいい文章を書く人がいるなぁと思っていた方だったのだが、ある時から児童文学も書き始めた方だ。
佐藤まどかさんの作品が発売された。
発売当日に手にすることができた。

 

作品のタイトルは、「つくられた心」。
表紙もすばらしくいいと思った。
これだ。

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浦田健二さんという方が描かれた表紙だ。

表紙のタイトル「つくられた心」の下に英語のタイトルが小さく書かれている。
Artificial soul
ふむふむ、心=heartというのが私の英語力だったので、「soul」という単語を見て、ますますいい小説を書かれる方だと思った。

 

タイトルは
「つくられた心 Artificial soul」
なのだ。

 

お話の内容もわくわくとさせるものだ。
新しくつくられた小・中・高までの一貫校の「理想教育モデル校」が舞台。
少人数クラス、ハイテク設備、学力に合わせた補習授業、そしてスーパーセキュリティシステム完備の未来の学校。
防犯カメラ、盗聴マイクだらけの学校なのだが、クラスにひとりイジメ防止の「見守り係」としてアンドロイドが1体、配置される。
やがてクラスの中でアンドロイド探しが始まり……ここから先は実際に読んで欲しい。

 

人間の心とアンドロイドの心の違いから、本当の心は何かを考えさせる。
いい。ステキだ!

 

Artificial soulのArtificial。

Artificialには、人工的とか、不自然であるさまとかという意味がある。
人工知能のAIは、Artificial Intelligenceだ。
AIという言葉はよく知っていても、Artificial Intelligenceとは知らない人が結構いるように思うので、覚えておくといいと思う。Artificial Grassは人工芝だ。
AIは「エーアイ」と読むが、数年前これを「アイ」と読んでいる人と遭遇したことがあるが、AIには愛があるとステキだ。
「つくられた心 Artificial soul」を読んで、そう思った。

 

Artificial soulのsoul。

心をsoulとしたところに、作者の佐藤まどかさんの心が感じられる。
心を英語に訳そうとすると、結構いろいろな英単語がある。

例えば、
heart
mind
spirit
そして、soul

 

ニュアンスがちょっと違うかもしれないが、いろいろと調べて見ると、
heartは感情的な意味での心。感情や情緒を感じる心だ。物理的な心臓を指すこともある。
mindは知性的な意味での心。思考や意志などにつながる心だ。
spiritは死後にも存在しているという意味での心。霊的で、心に宿る精神も指している。
soulは魂が宿るという意味での心。アイデンティティにかかわる心の深い部分を指している。

こんなことを考えていくと作者の意図や思惑が忍び込んできて、ますますこの児童文学が面白くなってくる。

 

心と言えば、子どもの心はつくられる……これが、教育の世界で生計を立てている者としての率直な実感だ。
例えば、「あの子はいい子」と言った場合、「本当にいい子」の場合と、「大人にとって都合のいい子」の場合がある。「本当にいい子」の場合、結構な割合で「大人にとっててはやっかいな子」であったりする。

 

ところで、児童文学というと子どもの読むものだと思いこんでいる人がいる。
これは大きな間違いだ。
ぜひ大人も読むべきだ。
優れた児童文学は大人になってから、もう一度読むと子どもが読者の文学だからこそ、大人が読むと奥深いものが実は何と多いことか。

ハリー・ポッターも児童文学。
わかる人にはわかると思うが、児童文学の「赤毛のアン」は、女性にとっては永遠のバイブルとも言える作品だ。

 

AIがどこまで進化するかは、現時点でははっきりしないと思う。
AIはAIを進化させようとしている仕事?、使命?をになっている大勢の人物がどこまで追究していくかによると思う。仕事としてではなく、心から追究している人物の力量にかかっていると思う。鍵を握る人物が世界のどこに、どれだけ潜んでいるのかは私にもわからないが、倫理観と未来感のある大勢の人物であってほしいと思う。

 

最後にもう一度紹介したい。

「つくられた心 Artificial soul」

つくられた心 (teens’ best selections 50)

つくられた心 (teens’ best selections 50)

 

 

佐藤まどかさんの作品だ。イタリアでデザインを学びプロダクトデザインの世界の方なのだが、ご自身の子どものために書いた児童文学がきっかけで児童文学作家も始められ、最新の作品がこの本だ。
すばらしい表紙は浦田健二さんの作品だ。インテリアとして飾ってもよいなと思える表紙だ。

 

近未来の東京の小中高校の最先端の一貫校を舞台に、AIと人間が共存する社会を描く。

 

お薦めしたい本のひとつだ。
書店で見かけたら、手に取ってみて欲しい。
「心のある人」なら、たぶん、買っていただけるのではないかと思う。

 

ゴジラと特撮とドリカムの1日

という街があります。
1月5日(土)に行ってきました。
蒲田と言えば、シンゴジラで破壊されていた街だなぁなどと思いながら、目的地に向かいました。
目指していたのは片柳アリーナ
ドリカムのコンサート会場です。
頼んでいたマフラータオルを受け取るためひとり早めに到着。

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エネゴリ君付きで色合いも好みのものでなかなか素敵です。
会場の入り口にはドリカムとエネゴリ君がいました。

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周りをしばし散策。
こんなものが…。

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実は、片柳アリーナはこの下にあります。
片柳アリーナは学校法人片柳学園が所有している施設です。
学校法人片柳学園東京工科大学日本工学院専門学校などを持つ学校法人です。
巨大な施設が周りにたくさんありました。

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歩いて行くと、突如としてすごいギャラリーに遭遇しました。
ギャラリー鴻です。
鴻は「こうのとり」と読みます。

 

このギャラリーも学校法人片柳学園の施設です。
入りなさいと呼ばれているようでした。
時計を見ると開演まで1時間あります。
いそいそと入りました。
入り口です。

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「特撮のDNA」
入場料は1600円でした。
かなり高い……。

受付を通ると出迎えはシンゴジラでした。

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歴代のゴジラ映画で使われた数々の一品をはじめとして特撮もので実際に撮影で使われたものが展示されています。


1600円は安い!
写真は取りたい放題でしたので、その一部だけをご紹介します。

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メカゴジラ君です

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ゴジラの卵

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円谷英二さんが使用した台本です

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円谷英二さんに送られた表彰状

1月27日(日)まで実施しています。

満足して出ると開場ぎりぎり。今日は我が奥様は用事を済ませてからライブ会場で合流することになっていたので、ひとりでぶらぶらしていたので、「特撮のDNA」にも入ることができました。一緒だったら、非難の嵐だったと思います。めでたしめでたしです。

 

では、今日の主目的のライブへ。
「ENEOS×DREAMS COME TRUE ドリカム30周年前夜祭 アンコール ~ドリカムの夕べ~」
数千人しか入らない会場なので、こぢんまりとした雰囲気でライブが進行します。

コンサートで使える会場が次々と改修や補修に入っているという今という時期でないとこんな狭い空間でドリカムには出会えなかったと思います。
素敵なひとときでした。

 

2019年の新春はゴジラとドリカムでスタートしたのでした。

謎の卒業アルバム

■どうして今頃……

2019年のお正月を我が家は家族4人で迎えることができました。
研修医として兵庫の田園風景あふれる病院で前期研修医生活をおくっている息子も帰ってきました。
実は、帰って来た時に渡そうと思っていたモノがありました。

それが「謎の」卒業アルバムでした。

 

なぜ「謎の」なのかと言うと、卒業して1年以上たった2018年の夏に突然届いた卒業アルバムだったからです。
卒業した年ではなく、届いたのがなぜ翌年だったのか、不思議でなりませんでした。
本人がとても忙しい生活を送っていたので、直接会った時に手渡してから、理由を探ってみようと思っていて、やっと渡せたのがお正月でした。

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息子は何事もなかったかのように、受け取りました。
かなり遅れて届くのを本人が知っていたと後でわかりましたが、1年以上たってから届いた卒業アルバムの謎が息子の説明でやっとわかりました。

 

卒業アルバム委員を担当していた学生が留年してしまったのです。
卒業生は皆、卒業アルバムは彼が卒業してから発行するということに納得したということでした。別に怠けていたから留年したのではなく、医学の世界は厳しいので留年と進級は紙一重の世界だというのがよくわかっていたので、気の毒でなりませんでした。

 

■医学部の留年の実際

 

医学部をストレートで卒業する割合は全国的に例年85%前後です。

 

全国医学部長病院長会議という団体があり、医学部の学生の留年率や休学者数、退学者数などを毎年実施しています。「医学生の学力に関するアンケート調査」です。経年変化を追える53大学(国立30校、公立2校、私立21校)の推移を見ると、最近、1年生、3年生、5年生の留年率が上がっていました。

 

実際の留年者の人数を見てみると平成28年度の53校で
1年生の留年は293名
2年生の留年は490名
3年生の留年は318名
4年生の留年は290名
5年生の留年は152名
6年生の留年は326名
でした。

 

医学部で留年しやすいのは、
内容が難しくなる2年生
実習のための知識を問われる4年生
卒業を控えた6年生
の学年だと言われています。
医学部は定員が制限されていてどこの大学も100人〜120人程ですが、偶数学年である、2、4、6年生は2桁以上の留年者が出ることがあります。
2年生は基礎医学、4年生は臨床医学、6年生は卒業試験と国家試験の学習量が増えます。

 

今まではほとんど留年が発生しなかった5年生で留年が増えている原因のひとつとして言われているのが、医学を学ぶ仕組みが変化してきていて臨床実習が早まったことです。今までよりも短い期間で医学の基礎基本を学ぶようにかわり、学習量が飛躍的に増えています。


仕事の関係で医学部を目指す保護者の方と入学後の厳しさの話をすると、大学で勉強していないから留年するんだという保護者の見方がほとんどなのですが、開業医の子弟が多い医学部以外では実際にはそんなことは少ないといっていいというのが実感です。

医学の進歩はものすごく早く、医学の分野は高度化し細かく専門化してきていて、治療方法や技術の進化があり、これに加えてインターネットの発達も拍車をかけて医学生がふれる情報量や難易度は激しく上昇してきています。
医学部は進歩と知識量増大のスピードに追いつかねばならないという環境におかれているのです。


その上、医学部は医学分野は全て必修なので、ひとつの試験・単位を落とすと留年しますので、医学部の入った後の留年しやすいのは仕方がないのかもしれません。
医学部に入りさえすれば、誰もが簡単に6年で卒業して医師になれるわけではないのです。

 

成績がいいから医学部を目指すという親子と話をする時には「医師になる」というキモチがどこまであるのかを確認するようにしています。単に医者にさえなれればいいという感じの親子にも慎重に話をしますが、志の高い医学生は試験に関係なく海外の論文を一生懸命に読んでいます。患者さんのための情報が世界中に散らばっているからです。教えてもらうという意識は論外です。

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医学の世界を目指す若者には、試験に受かるための医学の勉強ではなく、患者さんのための勉強を心がけて欲しいと切に願います。

 

息子は3日の当直から仕事がスタートするということで2日には元気よく戻っていきました。大変な職業です。

心のこもった絶品のケーキ(吉祥寺のレモンドロップ)

新覚羅浩展に行った際に浩さんが友達に送った自筆の手紙の写真が掲載された「図録」を買ったというお話を前回はしました。

実は、杉並区の郷土博物館では過去に実施した展示の冊子も販売していました。
展示されていた過去の冊子を眺めていて、びっくりしました。
思わず手にとった冊子があったのですが、平成8年発行との記載があります。
もう22年も前の冊子ですが、私が行きたくても都合が合わず、行けなかった展示会のものでした。
それが「高円寺フォーク伝説」です。

 

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A4で45ページで600円。
情報量が多く、貴重な写真が掲載されていました。

 

今は中央線の国分寺の駅から西武線に乗ってひとつ目の駅が私の自宅の最寄り駅なのですが、歩いていこうと思えば国分寺まで歩ける距離の場所です。終電がなくなってしまうと歩いて帰ることができます。
1970~80年代、中央線の国分寺は吉祥寺、高円寺とともにフォークやロックのメッカとして「三寺」と呼ばれていました。

 

高円寺駅周辺には、ロック喫茶やライブハウスが最盛期で十数軒ありました。
出演していた方々の中には渡辺貞夫さんや上田正樹さんがいました。高円寺には吉田拓郎さんや南こうせつさんが住んでいましたが、国分寺、吉祥寺、高円寺の三寺では毎晩、ロックやフォークが奏でられ、夢や希望が語られていた地なのです。

 

2018年のクリスマス。
ケーキの調達係を担当したのですが、今年は吉祥寺まで出かけて行ったのも高円寺フォーク伝説という冊子がきっかけです。
自然に三寺というキーワードが浮かんできて、真ん中の吉祥寺のあるケーキ屋さんへ向かいました。


お店の名前は「レモンドロップ」。
吉祥寺のケーキ屋さんと言えば、「レモンドロップ」です。
ジャズ喫茶「Funky(ファンキー)」を皮切りにジャズの聖地「サムタイム」や「アウトバック」などをオープンし、吉祥寺をジャズの街にした野口伊織さんが1980年に始めたケーキ屋さんです。
 

ジャズ喫茶「Funky(ファンキー)」は会話禁止、私語厳禁の店でした。
今は時代に合わせて、変わってしまっていますが、ひたすらジャズを堪能するための店でした。
吉祥寺を「町」から「街」へと変えた男と言われた野口伊織さん。
吉祥寺が人気の街へと変える原動力のひとつが野口さんのアイデアと行動力でした。

 

これが「レモンドロップ」のクリスマスケーキです。

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残念ながら、野口さんは2001年に亡くなられました。
まだ五十代でした。今は野口さんの奥様が経営されていますが、優しいふんわりとした生クリームの味は変わらず、とてもおいしいです。

 

「レモンドロップ」ではクリスマスケーキにはろうそくを無料でつけてくれるのですが、こんなかわいいマッチもついてきます。

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こんな心遣いがうれしいものです。

 

レモンドロップ

https://www.lemondrop.jp

 

本店には喫茶店のスペースもあります。
レモンドロップは吉祥寺の駅ビルのアトレ吉祥寺店の1Fにもあります。
吉祥寺にお出かけの際はぜひレモンドロップでケーキを買ってみてください。
私は独特の味わいのチーズケーキを今度は買って帰ろうと思います。

愛新覚羅浩さんの手紙

月末に杉並区の郷土博物館で開催されていた愛新覚羅浩展に行ってきました。
展示の会期の終了間際でした。

 

愛新覚羅浩さんは日本の公家の嵯峨侯爵家の長女として生まれましたが、清朝最後の皇帝であり、後に満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の弟の愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)氏に嫁ぎました。後に出された自伝のタイトルにもなった流転の王妃として知られています。


この展示ではじめて出されているあるものの存在を大手予備校で歴史の講義をしている大先生から教えて頂き、いそいそと行ってきました。

 

井の頭線永福町駅から歩いて20分ぐらいの場所に杉並区の郷土博物館があります。
実はこの郷土博物館は浩さんの祖父の家があった場所でした。嵯峨家の実家の屋敷跡が杉並区の郷土博物館になっています。

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歴史の大先生から聞いて何としても実物を見たいと思ったのは浩さんが書かれた手紙です。
手紙は結婚前に浩さんから友人に対して書かれたものです。


この友人へは全部で二十一通の手紙が書かれていたということなので、とても親しい間柄だったのだと思います。
このうちの三通に結婚前の心情が書かれていました。

 

1937年1月12日にラストエンペラーの弟の溥傑の配偶者を浩さんとすることが内定し、1月18日に見合いがおこなわれ、2月6日に結納式、4月3日に結婚式がおこなわれています。
公開されていた3通のうちの2通はお見合いの直後、3通目は結納式の直後に書かれていました。

 

手紙はすごく達筆な字でした。
親しい友達にあてた手紙だったからでしょうか、浩さんの不安と覚悟が率直な言葉で綴られていました。
大切に育てられ、素直に育った娘さんだというのが書かれた文章からもよくわかりました。

 

当時、満州国皇帝溥儀の弟・溥傑は日本の陸軍士官学校を卒業して千葉県に住んでいました。
関東軍が溥傑と日本人女性との縁談を何としても成立させようとして進めていました。
満州国皇帝・溥儀は弟には日本の皇族の女子と結婚させたいという意向を持っていたそうです。しかし日本の皇室典範は、皇族の女子の配偶者を日本の皇族、王公族、または特に認許された華族の男子に限定していました。そこで、昭和天皇とは父親同士が母系のまたいとこにあたり、侯爵家の長女の浩さんに白羽の矢が立ったのです。

 

嵯峨家の実家の屋敷は、訪問した郷土資料館の敷地にありました。
祖父の屋敷から浩さんは婚礼の場へと出発しています。

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式場は今の九段会館です。
九段会館が式場だったというのは郷土博物館の展示ではじめて知ったのですが、実は私が結婚式をあげたのも九段会館だったので、何か感慨深いものを感じました。

九段会館 - Wikipedia

 

手紙の文章は本当に素直な女性の言葉で細かい文字でびっしりと綴られていたので、ここで紹介したいのですが、書いてもよいという許可を取っているのではないのでここでは控えますが、突然、国策としてラストエンペラーの弟に嫁ぎなさいと言われ、拒否することなどできず、これから満州国へ渡らなければいけないという気持ちを素直に手紙に綴っていました。

手紙を友達に書いてから、約80年後にまさかこうして展示されるとはご本人も思ってもみなかったでしょうが、貴重な歴史の資料でした。
なぜ友達に書いた手紙が杉並区に提供されることになったのかということにも興味がわきましたが、それについてはわかりませんでした。

 

浩さんの結婚生活は幸せな気持ちがいっぱいの時がしばらくは続いたようです。
二人の娘が誕生しましたが、満州国が崩壊し、一家の苦難が始まりました。
夫の溥傑は戦争犯罪人として刑務所に入り、一方で長女の慧生さんは学生生活を日本で送っていました。
浩さんは次女を連れて逃亡生活を送り、1947年に日本に帰国しました。


浩さんの長女の慧生さんは日中の懸け橋になることを夢見て、中国語を学び、1953年に「父親なら、娘の父恋しい気持ちはお解りになるでしょう」いう内容の手紙を中国の周恩来首相に書き、周恩来首相を動かしたというのは有名な話です。

 

この慧生さんの周恩来首相への手紙も今回、公開されていました。
その後、長女の慧生さんは19歳で男子大学生と天城山で無理心中をしています。
いわゆる天城山心中」です。
実際には無理心中ではないという説もあり、浩さんは溥傑への手紙で慧生の死は自殺ではないという手紙をしたためていました。
現代で言うと、ストーカー殺人だという主張です。

 

浩さんの手紙と慧生さんの手紙を読むのに1時間近くも会場にいました。
実物は本当に凄いと思いました。
手書きの手紙のよさも再確認できました。

写真撮影は禁止されていたというのもあり、手紙を記憶するように何度も読んだので、1時間かかったのですが、出口まで来た時に目が点になりました。


「愛新覚羅浩展」の展示図録を販売していたのです。
その中に手紙の写真と手紙を一字一句、書きおこしたものが掲載されていました。
展示されたいたものは全て写真で載っていました。
700円。

 

興味のある方は郷土博物館、分館、区政資料室(区役所西棟2階)で販売しているそうです。
郷土博物館へ電話をすると郵送の手配もしてくださるそうです。
興味のある方はぜひどうぞ。

 

どんな人生だったのかを知ると、資料への見方もまるで違ってくるものです。
浩さんに関連した書籍や映画などを紹介しておわりにしたいと思います。

 

まずは浩さん書かれた自伝です。
流転の王妃の昭和史」で中公文庫から出ていますが、読みごたえがあります。

 

流転の王妃の昭和史

流転の王妃の昭和史

 

 

長女の慧生さんの一生をたどった書籍としては「流転の子」という書籍があります。
これもすばらしい丁寧な取材に基づいた作品です。

流転の子 - 最後の皇女・愛新覚羅嫮生

流転の子 - 最後の皇女・愛新覚羅嫮生

 

 

そして、はずせないのが映画「ラストエンペラーです。
清朝最後の皇帝溥儀の人生を描いています。
2018年にBlu-rayが出ていますが、これが手頃だと思います。


ベルナルド・ベルトルッチ監督が4年かけた中国ロケで作った大作です。
甘粕正彦役で出演し、音楽プロデューサーとして参加した坂本龍一さんがアカデミー賞作曲賞を受賞していますが、1987年度のアカデミー賞でノミネートされた9部門全てでの受賞という快挙を達成しています。


残念ながらベルナルド・ベルトルッチ監督は2018年11月26日に亡くなられました。

 

大手予備校の歴史の大先生には感謝しかありません。

様々な叫び・・・あなたも耳をふさぎたくなる

野にある東京都美術館に我が奥様と一緒にムンク展―共鳴する魂の叫び」へ行ってきました。
これがチラシです。

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「叫び」が初来日しているのです。
私のコレクションの中にキティちゃんの「叫び」があります。
↓これです。

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いつか本物を見たいと思っていたのですが、まさか日本で見ることができるとは思ってもいませんでした。

 

東京都美術館に着くと、550円、二人で1100円を出して音声ガイドを借りました。
これは大正解でした。
解説を聞いていると、波瀾万丈の人生だったというのがよくわかりましたが、一番びっくりしたのは、「叫び」で描かれている人物は、実は叫んでいないということでした。


叫んでいると思っていた人物は、夕暮れ時、突然、幻聴や幻覚に襲われ、自然を貫く果てしない叫びに耳を塞いでいる姿だそうです。
恐ろしくなり、懸命に不安と戦うために、手で耳をふさいだのです。
人間の不安が極限に達した一瞬を描いた作品でした。

 

ノルウェーの由緒ある家系に生まれたムンクでしたが、幼いころに母と姉をなくし、自身も病弱だったそうです。
画家を目指してパリに留学していた20代の時には父親も亡くなっています。
39歳の時には別れた恋人がストーカーになり、彼女が銃の暴発をさせて、大事な左手を負傷しています。
ヨーロッパで個展が大成功するようになりましたが、一方で、アルコール依存から精神病を患って入院もしています。
ナチスドイツが台頭した後は、退廃芸術と糾弾されました。
ナチスドイツの占領下となったノルウェーの自宅で一人亡くなったそうです。
波乱万丈な人生でした。

 

ムンクの生涯や人物を追いながらの展示は見応えがありました。
日本でムンクの作品が約100点も展示されるのは貴重です。
初来日の「叫び」。日本で見られる機会はめったにありません。
ぜひ出かけてみてください。

 

ちなみに、会場の最後にグッズコーナーがあります。
我が奥様はムンクの色彩豊かな作品のポストカードなどをお土産に買っていました。
また、妙なものを買っていると思われたのではないかと思いますが、私もお土産を買いました。
↓これです。

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ムンクポケモンのコラボです。
貴重なコラボです。
ピカチュウミミッキュイーブイモクローコダック
ポケモン達が、ほっぺに手をあてて、大きな口をあけて「叫び」を再現していたのです。
素敵な「叫び」との出会いでした。

 

ムンク展―共鳴する魂の叫び」は、2019年1月20日(日)まで開催中です。

ぜひ、本物を見に行ってください。

 

www.tobikan.jp

吉祥寺でちょっと寄り道

は初台に仕事場がある。
初台は新宿駅から京王新線でひとつ目だが、なぜか地名は渋谷区だ。
自宅は小平にあるので、初台から自宅に向かう時、普通は中央線で新宿から一気に国分寺まで行き、小平方面の西武に乗るものらしいが、私は初台→笹塚→明大前→吉祥寺→国分寺のルートでたどり着く。これには大きな理由があるのだが、どうして?と言われることがあるので、一応、電車賃がこのほうが安いからともっともらしい理由を言うのだが、このルートが私の将来の仕事に大きなメリットをもたらすので選択している。

 

そんな途中駅の吉祥寺で我が奥様が期間限定の展示をはじめた。
ちょっと寄り道をしてから、昨日、寄ってきた。
午後8時ちょっと前。
丸井吉祥寺の5階にその場所はあった。
これがその場所のタイトルというかイベントの名称のポスターだ。

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遊木アートとクラフト作家展
我が奥様は「クラフト作家」の方を担当するのだが、11月6日(火)までの期間のみで、7日からは別の方のクラフト作品になるので、このブログをお読みの方で吉祥寺へ行かれる方はぜひ11月6日(火)までの期間に行っていただきたい。

 

さて、到着すると、不思議な雰囲気のおじさまときちんとした雰囲気のおじさまがいた。きちんとした雰囲気の方は吉祥寺丸井の営業の部長さんとのことで、挨拶をさせて頂いたが、やっぱり第一印象と仕事上の役割が一致していた。

 

不思議な雰囲気のおじさまは、立ち居振る舞いは全く違うが自分と同じ空気感を感じたので、キモチが伝染し合って、仕事に支障が出ると感じ、本能で避けようとしたのだが、この方が今回の展示のもうひとつのほうの「遊木アート」の作家の方だと判明した。ものすごく大雑把で自由をいい意味で追究している方だと感じたので、またもや本能がじゃまをしようとしたが、すぐに我が奥様にその後の時間帯のこの場の運営を任せて帰られた。

 

ココロの底からほっとした。
別にその方を悪く言っているわけではないので、この点は誤解しないでいただきたい。いい人である。八代繁広さんという。
人には目標があり、それに向かって進んでいると思うのだが、その目標に向かう時にココロを乱す波動を受けそうな人だったというだけで、私のその後の時間に影響すると感じただけだ。いい影響なのかがわからなかったので、その方を観察しようとしたら、帰られたということだ。

 

まず、「遊木アート」というのがよくない。「遊」という字だ。仕事上、ちょっとシリアスで一直線な空気が必要だったので、よくない字が目に入った途端に、その方の空気も「遊」だったのだ。家に帰ってから、真一文字の空気の中で仕事をする必要があったので、うわぁ~と思ったのだ。残念ながら、この日は取りかかる前にバタッとなり、そのままおやすみなさいとなった。

 

さてさて、その方が帰られてから、その作品を見てみると、おやおや。
木への愛、ココロがあるではないか。
遊木アートと銘打っているが、使っているのは流木だった。

 

作品の材料は元々は流木だが、それを時間をかけて作られた作品には微妙で考え抜かれたバランスと愛の空気がある。ちょっと写真でご紹介しよう。

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伊豆に住んでいると我が奥様から教えられた。
不謹慎だが、伊豆と聞いた瞬間に、なぜかバナナワニ園の光景が頭に浮かんだ。

 

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時々、自分の世界に入っていると言われることがあちこちであるのだが、伊豆に住んでいると聞かされた時に私の頭の中にはバナナワニ園があった。
我が子供たちが幼いころ、連れて行ったのがバナナワニ園だ。
伊豆と言う言葉からバナナワニ園が私の脳内に広がっていたなどというのは、誰にも想像がつかないに違いない。


一見、むすっとした変なおじさんに見られているはずだが、時々、私の頭の中をのぞかれたら、恐らく驚愕の目で見られるに違いない。

大きな口をあけて、喉の奥まで見せてくれているワニ、ワニ、ワニの姿が遊木アートだという作品を見ながら、頭の中で繰り広げられていたのだ。妙な組み合わせの図が実は、仕事のヒントになっているので、これはこれで健全ではある。

 

伊豆。
海岸に行くと流木が流れ着いているのに出くわすことがある。
流木を見ながら、きっとできあがりの作品の姿をこねくりまわしながら、作られているのであろう。
自然を材料にするというのは、すばらしいことだ。

 

終了の8時半前に通りがかった幼児が作品の椅子のひとつに腰掛けて、ものすごくニンマリとしていたが、この子のこのキモチはかけがえのないものだ。この子がこの時の感じるキモチをできるだけ、年を重ねても持っていてほしいと思う。子供には本能で価値のココロがわかるものだ。時間を重ねるにつれて大人になり、ココロが変化する。
素直なココロの部分をいつまでも持ち続けて欲しいものだ。

 

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最後に我が奥様に怒られそうなので、奥様の作品も紹介しておしまいにします。
11月6日(火)までが我が奥様の展示の期間です。

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追記(2018年11月16日)

吉祥寺丸井の展示は無事に終了しました。

ご来場頂いた皆様、ありがとうございました。 

2002年の満面の笑顔と2018年9月

会人になって数年がたった娘は、会社では不思議ちゃんと見られているそうだ。
普通の大学とはかなり違う生活をする美大を卒業しているというのもあり、行動が普通とは異なり、そう見られているようだが、不思議ちゃんと認識されているのは遺伝と育て方が根本の原因だと思っている。
遺伝については我が奥様から批判を浴びそうで、あまり大きな声で言えないので、割愛することにする。


息子が医大卒、娘は美大卒ということもあり、子育てについて話をして欲しいと言われることが結構ある。
医大美大も普通の育て方ではたどりつかない…というのが一般的な見方らしい。
確かに育て方のエピソードや考え方を話すとびっくりされることがある。

 

何が幸せなのかは、結果論でしかないが、2人の子供の様子を見ていると、育て方は変わっていたが、今のところ間違ってはいなかったようだ…と信じることにしている。

 

人は好きなことに打ち込めるのが一番幸せだと思う。
娘の場合、それを見いだすのに、親としてはものすごく苦労した。
習い事もいろいろしたし、様々な体験をさせまくった。
きっと本人は親の試行錯誤の苦労は知らないだろう。
どこかで本人がピンと来るものに出会うに違いないというのもあり、これはどうだ、こっちはどうだと挑戦させる日々だった。表面的な挑戦はさせてはいないので、大変だ。

 

娘の場合、何度か子育ての大きな転機のタイミングがある。
そのひとつが、2002年の夏

 

娘はこの時、まだ小学校の低学年

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この夏、母親、つまり我が奥様は人生二度目の大学生活をしていて、夏のスクーリングに通っていた。娘は平日は私の実家と近所の仲良し家族との間を行ったり来たりしながら、過ごしていた。恐らく、夏なのに、なぜ私の家族はひとりぼっちにするのだろうと思っていたに違いない。土日だけは私があちこちに連れ回し、さびしさを癒やしていた。
土日は海、山、遊園地…、、、最初はよかつたが、だんだんと連れて行く場所がなくなってきた。
高尾山や箱根は複数回行った。
困った。
困った。
真剣に困った。
………

 

ある日、知り合いの方と会った時に、娘をどこに連れて行くかという話になった。
たまたまその方がこれに行くか?と言って、譲って頂いたのがあるミュージカルのチケットだった。
大人向けのミュージカルであり、どうみても小学生が行く代物ではないと思ったのだが、娘は静かにと言うと、静かにできるタイプだったので、ひょっとするとすごい体験に出会えるかもということで連れて行くことにした。

 

その日、娘にどこへ何をしに行くのかはうまく説明ができなかったと記憶している。
行き先は演劇である。
舞台で人がお芝居をする。
娘にとっては、知らない人が出てくるとは言わなかった。
大人向けとも言わなかったが、すごくおもしろいのだと伝えた。
楽しいよ。
……
いろいろ言い訳していたような気がする。

 

知人から譲り受けたはいいが、後で冷静になって考えた時に、娘が面白いと思えるかは定かではなかった。
小学生には、つまらないかもしれない。
どうしよう……。

 

ひたすら、静かにしないといけないよと向かう電車の中で諭した。
お芝居はマナーが大事だ。
じっとしているんだよ。
会場が近づくにつれて、娘よりも自分のほうがドキドキしていた記憶しか残っていない。

 

会場に到着した。
場所は赤坂ACTシアターだ。
入り口にポスターが貼ってあった。
これを見るんだよと話したが、じっとポスターを見た娘は無言で無表情だった。
列に並んで入っていくが、小学生なんてまわりにいない。
おじさん、おばさんだらけだ。
恐らくその日の最年少だったはずだ。

 

当時のチラシとパンフレットは家に残っている。
これだ。

 

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財津和夫さんが率いるバンド・チューリップが九州で結成され、あこがれの東京に出て行くまでを描いたミュージカル「魔法の黄色い靴」である。
出演は山本耕史さん、河相我聞さん、遠山景織子さん…。
山本耕史さんは今は立派ですばらしい役者さんだが、当時は若手のこれからという時期の方だったと思う。私は名前と顔が一致していなかった。

 

ミュージカルのお話はデビューの決まった大学生が、新たなメンバーを集めつつ、悩み、苦悩しながら、チューリップの原型を創り、東京に出ていくまでの物語だ。
かなりわかりやすい物語になっていたので、私はほっとしたが、娘はあきらかに緊張をしたまま席で固まっていた。
席のまわりもかなりの年齢のおじさま、おばさまばかりだった。

 

確か前から五列目ぐらいで、後ろから多くの観客の姿を見る、感じるという席ではなかったので、ひたすら舞台に意識を集中できたのがよかったのかも知れないが、娘は真剣に見ていた。私は娘の様子が気になり、あまりミュージカルに集中できなかった記憶があるが、主役の山本耕史さんの歌声と迫力にびっくりしたのは鮮明に覚えている。こんなに歌や演技がうまい俳優さんなのかというのが心に刻まれた。この他の出演者もすばらしかった。

 

実にいいミュージカルだった。

 

テレビで見る俳優さんを、舞台で見るとこんなに雰囲気が違うのかと感動もした。

実は、この頃、財津和夫さんが率いていたバンド・チューリップは解散していた
解散していたが、チューリップ30周年記念公演ということで、ミュージカルが終了した後の場面で、チューリップの皆さんが登場し、演奏することになっていた。
この日だけの再結成だ。
ということで、昔からの大ファンが集結していたミュージカルだったのだ。どう考えても小学生が行くようなものではない。

 

ミュージカルが終わり、一旦、幕が下りる。
娘にどうだった?と聞くと、しかめっ面をしながら、うなずくだけだった。
後日、あとで聞いた時の感想では、どうして私のような小学生がまわりにまったくいないところに連れて行かれたのか、最初はとても嫌だったようだ。

 

しばらくするとまた幕があがり、今度はチューリップが登場した。
ミュージカル終了時だけの、再結成だ。
拍手喝采
音楽が始まる。
会場は皆が立ち上がり、盛り上がる。
すばらしい音楽だった。

 

生の音楽はいいと本当に実感した。
チューリープのコンサートの時、実は最初はすっかり娘のことを忘れていたが、ちらっと左隣を見ると、立ち上がって、手拍子をしている。
一生懸命に手拍子をしている。
私の視線に気づいたのか、顔をこちらに向けると、今まで見たことのないような満面の笑顔を見せた。
思いっきりの笑顔だ。
連れてきてよかったと思った一瞬だった。

 

教育業界ではSTEMという言葉がある。
STEMとはScience、Technology、Engineering、Mathematicsの頭文字だ。
これからはSTEMだと、訳知り顔で主張する教育関係者の方はとても多い。
これにAをいれてSTEAMと主張する方もいる。
AはArtsだ。
だが、私はこれからの教育はSTELAMだと主張している。
LはLiveだ。

 

娘がデザインの道に進むことを真剣に考え、行動するようになってからは、かなりの数のライブに連れて行ったが、ライブの刺激はデザインにとって計り知れないものがある。ライブは何も音楽だけではない。リアルな場での本物との出会いはすべてライブだ。デザインの世界を目指さなくても、Liveは重要なミライの入り口になりうる。
子供のお稽古もそうだが、STELAMという視点で経験をさせるとミライが見つかる可能性が高まる。
間違いない。

 

MはMathematicsだが、子供によってはMusicと見てもよい。娘の場合はピアノをかじり、そこからダンスに向かった時期もある。子供の経験は接し方によっては、全てが栄養になる。
STELAMの頭文字は家庭の環境、考え方によって、まったく別の言葉の頭文字になるという話をこの間もしたのだが、中途半端な取り組みが一番よくないというのが根底にある。
やるからにはホンモノにふれる、体感することが大切だ。

 

さて、2002年に赤坂ACTシアターでホンモノのミュージカル「魔法の黄色い靴」で刺激を受けた時は、小学生の低学年だった娘。
この日を境に、娘は小学生、中学生、高校生、大学、社会人と誰かとライブの話になると「生まれてはじめて行ったライブはチューリップ」と言っているそうだ。
当然、同世代は???という場合が多い。
お前の家、おかしくないか?と思われることも多々あったようだ。
でも、大学で年配の教授とこの話題になったり、社会人になり年配の人と話をすると、逆に褒められることのほうが圧倒的のようだ。
いい育てられ方をしましたねと言われたこともあり、それを聞いた父親としては我が意を得たりという心境になる。

 

平成が終わりに近づいている2018年9月。
今がその時だと、思い立ち、娘と我が奥様を連れて先月、あるコンサートに行ってきた。
チューリップの50周年記念コンサートだ。
今は財津和夫さん、姫野達也さん、上田雅利さん、宮城伸一郎さんのバンドだ。

 

できるだけ小さなコンサートホールでおこなわれている日を選択し、行ってきた。
娘は前日に勤務先の専務さんと話をする機会があったそうだが、明日はチューリップのコンサートに行くんですとうれしそうに話したらしい。ますます不思議ちゃんと思われそうだが、褒められたと本人は言っていた。
いい意味で変な若者と見られるほうが活躍の場は広がるに違いない。

 

2002年の舞台では「30年後も唄っています」というセリフがあったのだが、2018年、チューリップは50年後も唄っていた。
コンサートではデビュー曲も含めスタート時の音楽もたくさん聴かせて頂いた。いい曲は永遠だというのを実感した。

 

小学校低学年ではじめて生で聴いたのがチューリップだった娘も長い年月を経て、生のチューリップにもう一度ふれ、満足そうだった。

 

2002年、教育の観点からは、漠然と次にチューリップの生を聴くのは、50周年前後が一番いいと思ったのだが、実現できて私もうれしいキモチだった。
チューリップは結局3回解散して、3回再結成している。メンバーだった方で安部俊幸さんが数年前に亡くなられたのは残念なことだ。

この日も当時の熱い想いが生きたままのコンサートだった。
ロックでもフォークでもないニューミュージックという言葉を50年前に生んだバンドのひとつ「チューリップ」。
これからもココロにしみるライブを続けていって欲しい。

 

女子高生に注目された本とよみがえるおでん女

の朝は早い。
もう一年以上、五時半起床が定着している。
五時半よりもっと早く起きる人は大勢いると思うが、我ながらよく続いてる。


国分寺駅から中央線を使うのだが、国分寺駅は西武の二路線の終着駅だ。
ふたつの路線から流れてくる人によって、数分違いの電車によっては混み具合がまるで違うことになる。


毎朝、西武で国分寺駅に到着。少し早歩きで中央線の乗り場に移動する。
西武のふたつの路線で1本前の乗客は数分前に発車した電車に全員が乗車している。
この既に行ってしまった電車はかなり混んでいる電車だ。
本や新聞を読む空間的な余裕はない。

 

私が乗り込む電車は1分前に到着したばかりだ。
私が乗り込む時には、席は埋まっているが、立っている人はそれほど多くない。
網棚に荷物を置き、ゆったりと本が読める。
ココロもおだやかなまま、乗り換えができる。


乗り込んで30秒ぐらい経つと、もうひとつの路線の西武の電車が到着する。
かなり混んでいて、人波がどどどと中央線側へ移動してくるのが中央線の窓から見えるが、私の乗った電車には間に合わない。
電車が発車する。


私が乗り換える駅まで、混み具合は若干混む程度で、ゆったり感が続く。

奇跡的に微妙なタイミングで乗車する人が少ないというゆったり電車が続く。
中央線としては貴重だ。貴重な電車に違いない。


中央線はほぼ毎日と言っていいほど、電車の遅延が発生する。
国分寺駅だと7時半を過ぎる電車はかなりの確率で遅延に巻き込まれる。
巻き込まれなくても元々大混雑なので本を読む余地はない。

 

朝の電車で本を読む。
このためだけに、時間をずらして乗ってみるという試行錯誤をくり返し、発見した1本の電車だ。
五時台に乗れば座っていけるのだろうが、毎日、もっと早起きするのは私には難しい。
そもそも座ってしまったら、寝るという誘惑に負けて本は読まない。
寝てしまったら、きっと着く頃は寝起きでぐだ〜としているに違いない。

 

なぜ、朝、本を読むのか。
キモチを到着までにピークにする方法が私にとっては読書なのだ。
ピークに達した状態で約2時間ある目標に向けて取り組む時間が毎日の日課になっている。仕事場でこれを終えると、勤務先に向かうという毎日を過ごしている。

 

先日、中央線の中で本を読んでいたら、女子高生の二人組が斜め後ろで何か言っている。
どうやら私が開いていたページをのぞき見て、「あの本、気になる~」といった感じのことを言っているのがわかった。
ちょうど次が私が乗り換える駅だ。
網棚から荷物をおろし、ドアのほうへ向く。
二人と目が合った。
おもむろに本をおおっていた書店の紙のカバーを「半分、取り」、表紙を二人に見せた。
二人が、あっ!という顔をして、ニコッとした。
私がニッとすると、二人がずっとにこにこしている。
丁度、駅に着いた。
ドアが開き、互いにさり気なく会釈しながら何事もなかったかのようにホームを歩き出す。

 

今、仕事上で女子高校生の進路指導や学び方指導をする機会が結構あるためなのか、私にとっては躊躇ない自然な流れの行動なのだが、周りからはパッと見は変なおじさんの行動に見られたかもしれない。

 

さて、私が読んでいた本のタイトルはこれだ。
「秋風羽織の教え 人生は 半分、青い。

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我が家では、NHK連続テレビ小説半分、青い。」を毎日録画して観ている。
半分、青い。」のヒロイン・楡野鈴愛(にれの すずめ)の漫画の師匠として登場したのが人気少女漫画家・秋風羽織先生だ。
ココロに響くいい話、するどい言葉が毎回のようにあり、秋風羽織先生が登場したあたりから、我が家の定番のドラマになった。

 

私が帰宅すると夕飯を食べながら「半分、青い。」を鑑賞。
娘が帰宅すると同じく「半分、青い。」を鑑賞。
我が奥様は既に観ているので、ひとりで都合一日に三回観るということになる。

 

秋風羽織先生の言葉はとても響く。
この「秋風羽織の教え 人生は 半分、青い。という本は、秋風先生の言葉が映像とともに蘇ってくるようで、読んでいると元気になる本だ。ぐっとくる言葉と写真でイメージがふくらむ。五平餅の作り方などのページもある。女子高生にのぞき込まれた時は秋風羽織先生の大きな写真とするどい言葉が大きな文字で載っていたページあたりだった。

 

興味のある方はAmazonで確認してみて欲しい。

秋風羽織の教え 人生は半分、青い。

秋風羽織の教え 人生は半分、青い。

 

 
子供の教育の成果として大切なことのひとつに、楽しく活字に親しむ習慣を持てることができたかというのがあると思う。
さらに、自分なりの感性や価値観で、素直に本を選択できることも大事だ。
自分なりのセンスで選び続けることができる能力はとても大切なのです。
自分に合っているかを見分ける力はいろいろな場面で勝負につながるとも思ったりする。
「秋風羽織の教え 人生は 半分、青い。という本を読むことも、
毎日「半分、青い。」を録画して鑑賞しているのも自分に合っているからしているといえる。

 

今、「半分、青い。」では、秋風羽織先生が登場していた漫画家時代は終わり、ある製品開発の話が進んでいる。実在する商品があるので、あれはこういう過程を経て作られたのかということもわかり、とても興味深く観ている。何で3万円以上もあの製品はするのかと思っていたのだが、あの製品が登場するまでの道のりを観ていたら、まぁいいかというキモチになってきた。でも、私は強力かどうかをこの分野の製品に求めているので、買うことはないだろう。でもドラマをきっかけに売れるかも、と家で話題になった。
理系を志望する高校生が見ていたら、参考になるはずだ。文系でも論理的に物事を追究することの大切さがわかると思う。
モノを創るというのは、こういうことなのか、生みの苦しみのためにとことんすることの大切さもわかる。生きた教科書のようでもある。
あるお店で、何でこれはこんなに高いのかと思って、じっと観察した製品だったので、余計、「半分、青い。」を見ていてびっくりしているところだ。

 

半分、青い。」と言えば、秋風羽織先生が登場していた漫画家の東京編の時に登場人物のひとりユーコの口から「カンチ」「リカ」「おでん女」という言葉が出てきたことがある。
懐かしい!と思ったが、これは「東京ラブストーリー」というドラマを知っていると通じる話題だ。
「ここぞというときにおでんを持ってきて、カンチをリカに会いに行かせないおでん女というのが流行りましたが、今はパン女です

この「半分、青い。」のセリフにはへぇ~と思った。おでん女ではなく、パン女か…。と思っていたら、東京では、突然、9月14日から平日の夕方に「東京ラブストーリー」の再放送が始まった。もう30年近くも前のドラマが、突如、再放送。ドラマはとんがったキャラクターと登場する言葉で勝負が決まると思うが、「東京ラブストーリー」はその代表作だと思うのだ。

 

「半分、青い」では似てるけれどちょっと違う音楽が流れていたが、小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」が流れているのが「東京ラブストーリー」。ドラマの中での音楽の使い方も当時は斬新だった。


東京ラブストーリー」を録画しておいて、観ようと思う。おでん女は最後の方の回で出てきたと思う。
はじめて、おでん女のシーンを見た時はいらっとしたが、今度はどう感じるのだろう。楽しみだ。

日本の中学を卒業しないという選択

5に成り立ての頃にはじめて出会い、それから中1を終えるまでの3年間とことん接した男子生徒がいます。昨年の春に閉鎖しましたが、担当していたデジタル教材を使って学ぶという個別学習の施設でのことでした。
彼はディスレクシアと呼ばれる症状がありました。
知的能力はまったく問題ないのですが、文字の読み書きが困難という症状のことをディスレクシアといいます。
今、彼は中学3年生です。

 

その彼が先週のある日の夜、飛行機でカナダへ旅立ちました

日本の中学を卒業するという普通の進路ではなく、カナダのバンクーバー島にある公立高校へ進むためです。

 

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カナダの公立高校はグレード制という方式です。
日本の学年という考え方に相当するのではないかと思いますがグレード9~12に14-17歳までの生徒がいて、日本の高校に相当します。
日本の中3から高3の4年間がカナダでは高校だと思えばいいと思います。9月が新しい学年がはじまる入学時期となります。
一人でカナダに渡るので、カナダ人のホストファミリーのお宅に居候することになります。

 

私は彼に出会うまではディスレクシアという言葉もよく知りませんでした。
教育分野が専門でしたので、今思うと恥ずかしい限りです。
小5になったばかりの彼から話を聞くと、教科書や本の文字が私とはまったく異なる世界のものとして見えているというのがわかりました。
奇妙な生き物のように見えていたのだと想像しました。
文字を読もうと思っても、ものすごく大変な思いをして一文字、一文字と向き合っています。
でも話をすると、それ以外の面では、とてつもなく能力は高く、もし文字が普通に読めていたら優等生だったと思います。

 

日本の教育機関ではディスレクシアに対する理解は悲しいくらい乏しいものでした。
私が接していた小5から中1までの3年間もいろいろな出来事がありました。
いろいろな接し方を大人からされていました。
原因がわからなかった時は、怠けているからできないんだと責められたりしたこともあったようです。

 

日本にディスレクシアの子供たちがどのくらいいるのか正確なことはわかりません。
ディスレクシアということをわかってもらえないまま、置き去りにされ、深い失望感の中で生きている子供たちが大勢いるのではないかと思います。


先日、ミッション:インポッシブル/フォールアウトという映画を観てきましたが、主演のトム・クルーズディスレクシアだと自ら公表しています。
トム・クルーズに限らず、ディスレクシアの著名人は大勢います。
海外では、指導法がかなり確立されていて、克服していくための方法論が広がりつつあります。カナダのバンクーバー島にある公立高校も積極的にかつ科学的にディスレクシアの生徒と向き合っていました。

 

日本ではあまり多くは教育機関での対応は期待できず、本人とご家族が孤独の戦いを強いられることになりますし、進路も住んでいる場所によって限られたものになります。
私が接した、今、中3の男子も高校受験という大きな壁が立ちはだかりました。このまま日本の中で探しても、可能性が狭まることになるのは目にみえていました。

 

何とか彼の可能性を広げる高校はないかと、探し、探し、探し、考え、考え、考えた末、家族で出した案のひとつの中にカナダの公立高校へ進むというのもありました。

経済状況も考えると、ぎりぎりの選択肢のひとつだったようです。
立派だと思ったのは、お母さんが心を鬼にして、様々な選択肢の進路の中からの決断を本人にゆだねたことです。
彼は自分の意志で決めました
言われて決めたのではなく、自分で決めたところが大事なポイントです。
親に言われて決めるのと、自分で考えて決心するのでは将来大きな差が出てきます。

 

ご家族も大変だったと思います。
今までの成績証明書、先生からの推薦状など様々な書類を用意するのは手間暇がはかりしれませんし、まず先生方が理解できないと思います。何しろ中学校を卒業せずにカナダの高校に進むのですから、普通は信じてもらえないでしょう。
教育委員会ともかなり困難な折衝をされています。

 

彼やご家族のこれまでの取り組みを見ていると、ディスレクシアは直すのではなく、活かすことではないかと思えてきます。
カナダの公立高校へ行くという選択は、自ずと自然な形でその先の進路も日本ではなく、世界で考えるということにつながります。とてつもない未来を作る可能性が出てきます。
彼の5年後、10年後の未来が楽しみでなりません。

 

未来は自分で作るということを彼には繰り返し伝えてきました。
アメリカのアラン・ケイ博士の言葉を合い言葉にしていました。
The best way to predict the future is to invent it.

 

日本の教育機関や制度の中では限定した未来になってしまったと思いますが、自らの力と家族の応援でわくわくする未来になっていくに違いありません。
未来は自分で作る。
私も負けてはいられないなと思います。

 

土曜日のひととき

曜日、朝早くからドタドタと音がして目が覚めました。
我が奥様は横浜で展示があるからと出かけていきました。

 

続いて、今度は娘は千葉へ行って来ると言って玄関に向かっていきました。
「今日は帰ってこないから…」と、にこやかに出かけていこうとしたのですが、とっさに頭に浮かんだのが
千葉というとなぜか私はマザー牧場を連想してしまいます。

 

「羊を見に行くのか?」と聞くと、即座に想定外の答えが返ってきます。
「毛がある動物はキライ」
さすが我が娘。妙な感性です。

 

「泊まりがけで何をしにいくの?」
「星を見てくる!」
友達と星を見てくるそうです。
にぎやかに出かけていきました。

 

東京だと私が子供の頃は結構、肉眼で星が見えたものですが、今はなかなか見えなくなりました。
千葉だと場所によってはかなり見えると思います。

 

行ってしまってから、心配になってきました。
結構、荷物が少ない感じでした。
一眼レフは大事そうに持っていましたが、天体観測で大事なのは実は懐中電灯です。

 

天体観測は、いい場所に限って、暗いのです。
つまずかないように、懐中電灯は必需品です。
まぁスマホがあるから大丈夫でしょう。

 

さて、静寂に包まれた我が家で、おもむろにかおるちゃんをピッと押します。
かおるちゃんというのは、私のMacのニックネームです。
モノに名前をつけるのは、私が大事にしている作法?です。
大切なものには全て名前がついているのですが、ある中学生に話した時は目を輝かせて聞いてくれたのですが、嬉しくなって、今度は女子高生に話した時はものすごく異様なものを見る目でみられた経験があるので、家の中では名前はあまり口にしません。

 

モノに名前をつけるというのは心理学的に見ても興味深い効果があるのですが、この話は長くなるので、また別の機会に…。

 

あらためて、かおるちゃんと向き合います。
かおるちゃんをピッと押すと、メールがドドドと来ています。
皆さん土日だったら読んでくれると思っているのか、金曜日の夜にメールを送ってきます。
ドドドと対応して、いざ横浜へ向かいます。

 

かおるちゃんとわかばちゃんも一緒です。
わかばちゃんというのは、ミラーレスカメラです。
ふむふむ、やっぱり妙な人間かもです。

 

「子供が出来たら変わってくれると思っていた」という話をある女性から聞かさせたことがありましたが、人は基本的にめったに変わりません。変わったと思ったら、錯覚ぐらいに思ったほうがいいと思います。
様々な子供たちと接してきた経験からもはっきり言えるのですが、変えるのは至難の業です。
先ほどの女性はキモチが変わることを期待していた様子ですが、キモチはなかなか変わりません
変えるのであれば、まず、行動を変えるところからはじめるのが大事です。
行動を変えるには、本気の目標、もしくはやらねばならないと追い込まれた目標が必要です。

但し、行動が変わったから、内面も変わったとはいきません。変わったのは内面ではなく、あくまでも行動です。

行動が変わるから、周りも変わり、未来も変わるのです。


むむむ、また話が脱線してきましたので、このあたりで元に戻します。

 

ちなみに、我が奥様は、我が子供たちに私のことを「結婚した時は、こんな人じゃなかった」と話していたことがありました。
どんな人だと思っていたのかが、定かではありませんが、別段、変な人間だというつもりは本人はないですし、結婚してから変わったつもりもありません。

 

さて、2時間近くかかって横浜につきました。
みなとみらい線日本大通り駅で降りました。
日本大通り駅は「にほんおおどおりえき」と読みます。
地上に出ます。

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ステキな雰囲気の街です。
目的地に着きました。

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神奈川県民ホールです。
この日は落語の春風亭一之輔さんの公演と横浜バレエフェスティバル2018というのをしていました。
春風亭一之輔さんの舞台の入り口前のスペースで、なぜか我が奥様が作品を展示しています。
こんな感じです。

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この日は激励でやってきたのです。

神奈川県民ホールのイベントにやってきた人のみが来る場所なのですが、思っていたよりも寄ってくださる方がいました。


激励でやってきたはずが、別の場所にあったこけしの作品をじっと見ていたら、そのうちのひとつが話しかけてくるようなキモチになりました
一応、我が奥様に購入の許可をいただき、買ってきました。
このこけしです。

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あきちゃんとその場で命名しています。

 

お昼休みに我が奥様と一緒に食事をしました。展示スペースが喫茶店の横にあったのですが、店長さんに食後のアイスコーヒー代を割り引いて頂きました。
感謝しかありません。
とってもいい気分でその場を後にしました。

 

神奈川県民ホールは道路をひとつはさんで、もうそこは海です。

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ぶらぶらとしながら、考えをまとめるにはいい場所です。
それにしても暑い一日でした。
熱帯化はどこまで進んでいくのでしょう。

 

ステンレスの匠のワザ

曜日に我が奥様が出品しているハンドメイド雑貨のお店「くらりす」のフェアをのぞいてきました。6日間だけの「ハンドメイドマーケット」というフェアをしています。

小平の駅からテクテクと歩いて行くと、まずあじさい公園

ステキな街並みです。

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ギャラリーに到着しました。

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がんばって展示していました。

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我が奥様の激励に行ったつもりが、店内の1か所で釘付けになってしまいました。

手塚務津夫さんという方が作られている作品です。

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これを買ってきました。

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材料はステンレスでした。
ステンレスのボルト、ナットなどを溶接でつないで、作品を作っています。
手作りなので、ひとつひとつが微妙に違います。
ステンレスを溶接して作っているので、溶接の焼き色が独特の味わいをかもし出しています。

ステンレスはとても固く、さびにくい材質です。
長く使える一品ですね。

後ろ側にペンをさしたりできる筒もついています。
私の作業空間にいろどりを添えてくれます。

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愛らしい表情ですね。

我が奥様の伝聞によると、元々は車椅子を作る職人さんだったそうです。

ステンレスは英語でstainless steelと言います。
stainは「よごれる」+lessは「少ない」。
つまり、stainlessは「さびない」とか「さびにくい」という意味です。

 

鉄は時間が経つと酸化してさびますが、ステンレスは錆びにくいのです。
ステンレスは、鉄にクロムやニッケルなどを加えた合金です。
さびにくいのは、鉄にクロムを添加することで表面に非常に薄い酸化皮膜を作ることで、周辺環境と反応しにくくなるのです。薄い酸化皮膜は傷ついても酸素や水で再生され、さびの発生を防ぎます。

 

汚れが落ちやすく、お手入れ簡単というのがステンレスの特徴なので、調理台、シンク、蛇口、レンジフードから食器、スプーンなど家の中がステンレスだらけというご家庭も多いのではないでしょうか。
鉄は、高温にも低温に強くないのですが、ステンレスは1000℃の熱さにも耐えます。
だからでしょうか、小惑星探査機の部品の材料としても活躍しています。

 

では、最後にもう一度、ステンレス雑貨の写真を紹介しておわりにします。

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ペット

が奥様が先日、一生懸命に犬の絵を描いていました。
木製の楕円系のボードに写真を見ながら、描き続けています。

 

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亡くなられたペットの犬の絵だそうです。
渡された写真を横に置いて描いていました。
依頼をされた方から直接話を聞いていて、想いとかキモチも共有して描いているせいでしょうか、絵に命が吹き込まれていくような感じを受けました。
絵と言っても、いわば犬の肖像画のような描き方でした。

 

これまでも、ごくまれに犬やネコなどのペットの絵を描いていることがありました。
多くの場合、亡くなって依頼される場合が多いようです。
依頼される方は写真以外でも何かの形で飾ってあげたいのでしょう。
肖像画があることで、亡くなったペットがそばにいるようなキモチになればよいなと描く様子を見て思いました。

 

犬の肖像画を見ていたら、ふと想い出されたことがありました。
もう15年ぐらい前のことだったと思います。
ある朝、勤務先に着くと電話がありました。
部下からだったのですが、休みたいとの連絡でした。
今日と明日、休みたいと。

 

木曜日でしたので、木、金と休み、土日もあるので、次に来るのは月曜日です。
休まれるとピンチの連続に陥るのが頭をよぎりました。
有休取得の理由は聞かない主義でしたが、当日の突然の休み連絡でしたし、この日はいつになくやる事が立て込んでいてチーム全体に影響が及ぶということもあり、本人の声の様子がおかしかったので、何かあったのかと聞きました。

 

「飼っていたペットの犬が亡くなりました」
絶句しました。

しばらく、かける声がみつかりませんでした。
こういう理由で休みたいと言われることに遭遇したのははじめてでした。でも、ペットは家族同然というキモチはとてもよくわかります。

 

この後、周囲には休みの理由は一切伝えませんでした。理解しないであろう人も多いと思ったからです。
仕事、ペット…価値観は人それぞれですが、ペットの死を理由に会社を休むことに対して否定的な人が一定数いる、という印象は当時も今も変わらないように思います。

価値観の違いだけは、何事も埋めるのがとても難しいと思います。どちらが正しいと言えるものではなく、育ってきたまわりの意識や環境の結果なので、どちらもその人にとって正しいのだと思います。

 

家族のペットがなくなるのは、悲しくて仕方ないと思います。

亡くなったペットもかけがえのない家族の一員ですので、こういう時は時間が過ぎるのを待つ以外に心を癒やす方法はないと思うのですが、どうなのでしょう…。

好きな作家の名前

大、美大受験の相談を先日、受けました。
相手はお父さん。
娘の受験の時の様子を交えながら話をしました。

 

デザイン系で合格するには学科試験の力が必須。
デッサン力も必要。
但し、実技試験は描ければいいというわけではなくて、出題者の意図を読み取る洞察力、観察力、読解力、理解力も必要。
実技は見た目上手ではだめで、技術的に確固たる基礎力が大前提。プラスαで、発想力。
あとは、瞬発力+スピード力と体力です。

こんな話をまずしました。

 

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そして準備に必要でもっとも大事なのは人です。
指導を仰ぐ師匠が必要です。
厳しい講評をしてくださる師匠の元での特別な訓練が必要です。

最近は絵が描けなくても合格できる学科も増えてきていますので、AO入試や推薦入試で入るという方法もありますが、あまりオススメできません。
入学後の4年間での成長度合いがまるで違うからです。
描くことを学ぶのが大学ではないですし、デザイン系では、それこそ経営学も学ぶ必要が高まってきているのが今の実態です。

 

タマビグラフィックデザイン学科とムサビの視覚伝達デザイン学科はどう違うのかという質問もされました。タマグラと視デを両方とも合格して視デを選んだ娘の例を出した時には質問攻めにあいましたが、この難問の正解は一人ひとりで違ってきたりするので、理解して頂くのに苦労しました。
藝大は入る時に天才の悟りが必要だなと思いますが、タマグラと視デはデザインに対する姿勢が根底のところで違います。
まずそれを理解できる土台を作らないと、判断できないと思います。


娘の場合は結果的に本人が自分の意志で選択した(たぶん…)と思っていますが、両方合格した後に悩んでいる時に、プロの視点で、娘のことをよくわかった上でアドバイスしてくださった師匠と言える方には本当に今でも感謝しています。

 

娘の頃と今とではまったく異なる受験環境なのですが、志望分野が娘と一緒のデザイン系だったので、受験よりも卒業後の進路についての話も長くなりました。

 

最終的には美大予備校をまず訪ねるようにアドバイスしました。
普通の進学校に通っている娘さんのお父さんでしたので、師匠が必要だからです。
現在の受験情勢を把握した上でのプロの進路指導も必要です。
特殊な受験作法、戦略も必要になるので、やはり美大予備校の右に出るものはありません。

 

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娘は高1の時から美大予備校に通いましたが、今でも想い出すと笑ってしまうのが、申し込みに行った日のことです。
東京では当時3か所の突出して力のある美大予備校があり、体験と説明を本人が聞いて決めました。相性も大事ですし、自分の意思がもっと大事です。

支払いもあったので、私がひとりで申し込みに行ったのですが、申込用紙を出したところ、その場で一旦却下されました。
裏側にアンケート欄があり、記入していなかったのです。アンケートは任意だと思っていたのでした。

 

娘に電話をして記入しますと伝え、一旦、予備校の前にあった喫茶店へ。
聞いて書くなんて面倒くさいと思ったので、勝手に記入して、再度、受付へ
先ほどの受付女子の方が確認をして受理してくださったのですが、裏のアンケートの欄を見て、なぜか微笑んでいます。
微笑んでいるというより、クスクスという感じです。必死に笑いをこらえているようにも思えました。

 

家に帰ってから、まったく悪気もなく、娘にアンケートは勝手に書いておいたからと伝えたのですが、何と書いたかを聞かれたので伝えたところ、1か所の所で怒られました。
そのアンケート項目は「好きな作家の名前」でした。
娘の好きな作家など、わかるわけがないので、実は私の好きな作家の名前を書きました。

 

好きな作家の名前は宮部みゆき

烈火のごとく叱られました。

 

美大予備校で好きな作家と言われたら、小説家のわけがないでしょうと。こう言われた時は衝撃でした。
創作系の作家の名前を書くべきだったのかと気づかされたのですが、やっと受付女子の微妙な微笑みの意味がわかりました。
自分ながら、やれやれと思ったのはなつかしい想い出です。

 

予備校、師匠の先生のお陰様で意味のある大学生活につながりました。今ではある企業の宣伝部で仕事をしていますが、今年から勤務先の主力製品の担当をしています。
毎日、CMで見ない日はほとんどないというような商品ですが、これから娘の独自色が出てくるのが楽しみです。
これも娘の予備校、大学での師匠があってのことです。


ホンモノは人からしか学べないというのを心から実感しています。