ココニコのキモチ

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いろどり工房ココニコ管理人(ボランティア)のキモチブログです。日常生活と本職(教育分野)の気づきのお話をしています。

2002年の満面の笑顔と2018年9月

会人になって数年がたった娘は、会社では不思議ちゃんと見られているそうだ。
普通の大学とはかなり違う生活をする美大を卒業しているというのもあり、行動が普通とは異なり、そう見られているようだが、不思議ちゃんと認識されているのは遺伝と育て方が根本の原因だと思っている。
遺伝については我が奥様から批判を浴びそうで、あまり大きな声で言えないので、割愛することにする。


息子が医大卒、娘は美大卒ということもあり、子育てについて話をして欲しいと言われることが結構ある。
医大美大も普通の育て方ではたどりつかない…というのが一般的な見方らしい。
確かに育て方のエピソードや考え方を話すとびっくりされることがある。

 

何が幸せなのかは、結果論でしかないが、2人の子供の様子を見ていると、育て方は変わっていたが、今のところ間違ってはいなかったようだ…と信じることにしている。

 

人は好きなことに打ち込めるのが一番幸せだと思う。
娘の場合、それを見いだすのに、親としてはものすごく苦労した。
習い事もいろいろしたし、様々な体験をさせまくった。
きっと本人は親の試行錯誤の苦労は知らないだろう。
どこかで本人がピンと来るものに出会うに違いないというのもあり、これはどうだ、こっちはどうだと挑戦させる日々だった。表面的な挑戦はさせてはいないので、大変だ。

 

娘の場合、何度か子育ての大きな転機のタイミングがある。
そのひとつが、2002年の夏

 

娘はこの時、まだ小学校の低学年

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この夏、母親、つまり我が奥様は人生二度目の大学生活をしていて、夏のスクーリングに通っていた。娘は平日は私の実家と近所の仲良し家族との間を行ったり来たりしながら、過ごしていた。恐らく、夏なのに、なぜ私の家族はひとりぼっちにするのだろうと思っていたに違いない。土日だけは私があちこちに連れ回し、さびしさを癒やしていた。
土日は海、山、遊園地…、、、最初はよかつたが、だんだんと連れて行く場所がなくなってきた。
高尾山や箱根は複数回行った。
困った。
困った。
真剣に困った。
………

 

ある日、知り合いの方と会った時に、娘をどこに連れて行くかという話になった。
たまたまその方がこれに行くか?と言って、譲って頂いたのがあるミュージカルのチケットだった。
大人向けのミュージカルであり、どうみても小学生が行く代物ではないと思ったのだが、娘は静かにと言うと、静かにできるタイプだったので、ひょっとするとすごい体験に出会えるかもということで連れて行くことにした。

 

その日、娘にどこへ何をしに行くのかはうまく説明ができなかったと記憶している。
行き先は演劇である。
舞台で人がお芝居をする。
娘にとっては、知らない人が出てくるとは言わなかった。
大人向けとも言わなかったが、すごくおもしろいのだと伝えた。
楽しいよ。
……
いろいろ言い訳していたような気がする。

 

知人から譲り受けたはいいが、後で冷静になって考えた時に、娘が面白いと思えるかは定かではなかった。
小学生には、つまらないかもしれない。
どうしよう……。

 

ひたすら、静かにしないといけないよと向かう電車の中で諭した。
お芝居はマナーが大事だ。
じっとしているんだよ。
会場が近づくにつれて、娘よりも自分のほうがドキドキしていた記憶しか残っていない。

 

会場に到着した。
場所は赤坂ACTシアターだ。
入り口にポスターが貼ってあった。
これを見るんだよと話したが、じっとポスターを見た娘は無言で無表情だった。
列に並んで入っていくが、小学生なんてまわりにいない。
おじさん、おばさんだらけだ。
恐らくその日の最年少だったはずだ。

 

当時のチラシとパンフレットは家に残っている。
これだ。

 

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財津和夫さんが率いるバンド・チューリップが九州で結成され、あこがれの東京に出て行くまでを描いたミュージカル「魔法の黄色い靴」である。
出演は山本耕史さん、河相我聞さん、遠山景織子さん…。
山本耕史さんは今は立派ですばらしい役者さんだが、当時は若手のこれからという時期の方だったと思う。私は名前と顔が一致していなかった。

 

ミュージカルのお話はデビューの決まった大学生が、新たなメンバーを集めつつ、悩み、苦悩しながら、チューリップの原型を創り、東京に出ていくまでの物語だ。
かなりわかりやすい物語になっていたので、私はほっとしたが、娘はあきらかに緊張をしたまま席で固まっていた。
席のまわりもかなりの年齢のおじさま、おばさまばかりだった。

 

確か前から五列目ぐらいで、後ろから多くの観客の姿を見る、感じるという席ではなかったので、ひたすら舞台に意識を集中できたのがよかったのかも知れないが、娘は真剣に見ていた。私は娘の様子が気になり、あまりミュージカルに集中できなかった記憶があるが、主役の山本耕史さんの歌声と迫力にびっくりしたのは鮮明に覚えている。こんなに歌や演技がうまい俳優さんなのかというのが心に刻まれた。この他の出演者もすばらしかった。

 

実にいいミュージカルだった。

 

テレビで見る俳優さんを、舞台で見るとこんなに雰囲気が違うのかと感動もした。

実は、この頃、財津和夫さんが率いていたバンド・チューリップは解散していた
解散していたが、チューリップ30周年記念公演ということで、ミュージカルが終了した後の場面で、チューリップの皆さんが登場し、演奏することになっていた。
この日だけの再結成だ。
ということで、昔からの大ファンが集結していたミュージカルだったのだ。どう考えても小学生が行くようなものではない。

 

ミュージカルが終わり、一旦、幕が下りる。
娘にどうだった?と聞くと、しかめっ面をしながら、うなずくだけだった。
後日、あとで聞いた時の感想では、どうして私のような小学生がまわりにまったくいないところに連れて行かれたのか、最初はとても嫌だったようだ。

 

しばらくするとまた幕があがり、今度はチューリップが登場した。
ミュージカル終了時だけの、再結成だ。
拍手喝采
音楽が始まる。
会場は皆が立ち上がり、盛り上がる。
すばらしい音楽だった。

 

生の音楽はいいと本当に実感した。
チューリープのコンサートの時、実は最初はすっかり娘のことを忘れていたが、ちらっと左隣を見ると、立ち上がって、手拍子をしている。
一生懸命に手拍子をしている。
私の視線に気づいたのか、顔をこちらに向けると、今まで見たことのないような満面の笑顔を見せた。
思いっきりの笑顔だ。
連れてきてよかったと思った一瞬だった。

 

教育業界ではSTEMという言葉がある。
STEMとはScience、Technology、Engineering、Mathematicsの頭文字だ。
これからはSTEMだと、訳知り顔で主張する教育関係者の方はとても多い。
これにAをいれてSTEAMと主張する方もいる。
AはArtsだ。
だが、私はこれからの教育はSTELAMだと主張している。
LはLiveだ。

 

娘がデザインの道に進むことを真剣に考え、行動するようになってからは、かなりの数のライブに連れて行ったが、ライブの刺激はデザインにとって計り知れないものがある。ライブは何も音楽だけではない。リアルな場での本物との出会いはすべてライブだ。デザインの世界を目指さなくても、Liveは重要なミライの入り口になりうる。
子供のお稽古もそうだが、STELAMという視点で経験をさせるとミライが見つかる可能性が高まる。
間違いない。

 

MはMathematicsだが、子供によってはMusicと見てもよい。娘の場合はピアノをかじり、そこからダンスに向かった時期もある。子供の経験は接し方によっては、全てが栄養になる。
STELAMの頭文字は家庭の環境、考え方によって、まったく別の言葉の頭文字になるという話をこの間もしたのだが、中途半端な取り組みが一番よくないというのが根底にある。
やるからにはホンモノにふれる、体感することが大切だ。

 

さて、2002年に赤坂ACTシアターでホンモノのミュージカル「魔法の黄色い靴」で刺激を受けた時は、小学生の低学年だった娘。
この日を境に、娘は小学生、中学生、高校生、大学、社会人と誰かとライブの話になると「生まれてはじめて行ったライブはチューリップ」と言っているそうだ。
当然、同世代は???という場合が多い。
お前の家、おかしくないか?と思われることも多々あったようだ。
でも、大学で年配の教授とこの話題になったり、社会人になり年配の人と話をすると、逆に褒められることのほうが圧倒的のようだ。
いい育てられ方をしましたねと言われたこともあり、それを聞いた父親としては我が意を得たりという心境になる。

 

平成が終わりに近づいている2018年9月。
今がその時だと、思い立ち、娘と我が奥様を連れて先月、あるコンサートに行ってきた。
チューリップの50周年記念コンサートだ。
今は財津和夫さん、姫野達也さん、上田雅利さん、宮城伸一郎さんのバンドだ。

 

できるだけ小さなコンサートホールでおこなわれている日を選択し、行ってきた。
娘は前日に勤務先の専務さんと話をする機会があったそうだが、明日はチューリップのコンサートに行くんですとうれしそうに話したらしい。ますます不思議ちゃんと思われそうだが、褒められたと本人は言っていた。
いい意味で変な若者と見られるほうが活躍の場は広がるに違いない。

 

2002年の舞台では「30年後も唄っています」というセリフがあったのだが、2018年、チューリップは50年後も唄っていた。
コンサートではデビュー曲も含めスタート時の音楽もたくさん聴かせて頂いた。いい曲は永遠だというのを実感した。

 

小学校低学年ではじめて生で聴いたのがチューリップだった娘も長い年月を経て、生のチューリップにもう一度ふれ、満足そうだった。

 

2002年、教育の観点からは、漠然と次にチューリップの生を聴くのは、50周年前後が一番いいと思ったのだが、実現できて私もうれしいキモチだった。
チューリップは結局3回解散して、3回再結成している。メンバーだった方で安部俊幸さんが数年前に亡くなられたのは残念なことだ。

この日も当時の熱い想いが生きたままのコンサートだった。
ロックでもフォークでもないニューミュージックという言葉を50年前に生んだバンドのひとつ「チューリップ」。
これからもココロにしみるライブを続けていって欲しい。