先月末に杉並区の郷土博物館で開催されていた愛新覚羅浩展に行ってきました。
展示の会期の終了間際でした。
愛新覚羅浩さんは日本の公家の嵯峨侯爵家の長女として生まれましたが、清朝最後の皇帝であり、後に満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の弟の愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)氏に嫁ぎました。後に出された自伝のタイトルにもなった「流転の王妃」として知られています。
この展示ではじめて出されているあるものの存在を大手予備校で歴史の講義をしている大先生から教えて頂き、いそいそと行ってきました。
井の頭線の永福町駅から歩いて20分ぐらいの場所に杉並区の郷土博物館があります。
実はこの郷土博物館は浩さんの祖父の家があった場所でした。嵯峨家の実家の屋敷跡が杉並区の郷土博物館になっています。
歴史の大先生から聞いて何としても実物を見たいと思ったのは浩さんが書かれた手紙です。
手紙は結婚前に浩さんから友人に対して書かれたものです。
この友人へは全部で二十一通の手紙が書かれていたということなので、とても親しい間柄だったのだと思います。
このうちの三通に結婚前の心情が書かれていました。
1937年1月12日にラストエンペラーの弟の溥傑の配偶者を浩さんとすることが内定し、1月18日に見合いがおこなわれ、2月6日に結納式、4月3日に結婚式がおこなわれています。
公開されていた3通のうちの2通はお見合いの直後、3通目は結納式の直後に書かれていました。
手紙はすごく達筆な字でした。
親しい友達にあてた手紙だったからでしょうか、浩さんの不安と覚悟が率直な言葉で綴られていました。
大切に育てられ、素直に育った娘さんだというのが書かれた文章からもよくわかりました。
当時、満州国皇帝溥儀の弟・溥傑は日本の陸軍士官学校を卒業して千葉県に住んでいました。
関東軍が溥傑と日本人女性との縁談を何としても成立させようとして進めていました。
満州国皇帝・溥儀は弟には日本の皇族の女子と結婚させたいという意向を持っていたそうです。しかし日本の皇室典範は、皇族の女子の配偶者を日本の皇族、王公族、または特に認許された華族の男子に限定していました。そこで、昭和天皇とは父親同士が母系のまたいとこにあたり、侯爵家の長女の浩さんに白羽の矢が立ったのです。
嵯峨家の実家の屋敷は、訪問した郷土資料館の敷地にありました。
祖父の屋敷から浩さんは婚礼の場へと出発しています。
式場は今の九段会館です。
九段会館が式場だったというのは郷土博物館の展示ではじめて知ったのですが、実は私が結婚式をあげたのも九段会館だったので、何か感慨深いものを感じました。
手紙の文章は本当に素直な女性の言葉で細かい文字でびっしりと綴られていたので、ここで紹介したいのですが、書いてもよいという許可を取っているのではないのでここでは控えますが、突然、国策としてラストエンペラーの弟に嫁ぎなさいと言われ、拒否することなどできず、これから満州国へ渡らなければいけないという気持ちを素直に手紙に綴っていました。
手紙を友達に書いてから、約80年後にまさかこうして展示されるとはご本人も思ってもみなかったでしょうが、貴重な歴史の資料でした。
なぜ友達に書いた手紙が杉並区に提供されることになったのかということにも興味がわきましたが、それについてはわかりませんでした。
浩さんの結婚生活は幸せな気持ちがいっぱいの時がしばらくは続いたようです。
二人の娘が誕生しましたが、満州国が崩壊し、一家の苦難が始まりました。
夫の溥傑は戦争犯罪人として刑務所に入り、一方で長女の慧生さんは学生生活を日本で送っていました。
浩さんは次女を連れて逃亡生活を送り、1947年に日本に帰国しました。
浩さんの長女の慧生さんは日中の懸け橋になることを夢見て、中国語を学び、1953年に「父親なら、娘の父恋しい気持ちはお解りになるでしょう」いう内容の手紙を中国の周恩来首相に書き、周恩来首相を動かしたというのは有名な話です。
この慧生さんの周恩来首相への手紙も今回、公開されていました。
その後、長女の慧生さんは19歳で男子大学生と天城山で無理心中をしています。
いわゆる「天城山心中」です。
実際には無理心中ではないという説もあり、浩さんは溥傑への手紙で慧生の死は自殺ではないという手紙をしたためていました。
現代で言うと、ストーカー殺人だという主張です。
浩さんの手紙と慧生さんの手紙を読むのに1時間近くも会場にいました。
実物は本当に凄いと思いました。
手書きの手紙のよさも再確認できました。
写真撮影は禁止されていたというのもあり、手紙を記憶するように何度も読んだので、1時間かかったのですが、出口まで来た時に目が点になりました。
「愛新覚羅浩展」の展示図録を販売していたのです。
その中に手紙の写真と手紙を一字一句、書きおこしたものが掲載されていました。
展示されたいたものは全て写真で載っていました。
700円。
興味のある方は郷土博物館、分館、区政資料室(区役所西棟2階)で販売しているそうです。
郷土博物館へ電話をすると郵送の手配もしてくださるそうです。
興味のある方はぜひどうぞ。
どんな人生だったのかを知ると、資料への見方もまるで違ってくるものです。
浩さんに関連した書籍や映画などを紹介しておわりにしたいと思います。
まずは浩さん書かれた自伝です。
「流転の王妃の昭和史」で中公文庫から出ていますが、読みごたえがあります。
長女の慧生さんの一生をたどった書籍としては「流転の子」という書籍があります。
これもすばらしい丁寧な取材に基づいた作品です。
そして、はずせないのが映画「ラストエンペラー」です。
清朝最後の皇帝溥儀の人生を描いています。
2018年にBlu-rayが出ていますが、これが手頃だと思います。
ベルナルド・ベルトルッチ監督が4年かけた中国ロケで作った大作です。
甘粕正彦役で出演し、音楽プロデューサーとして参加した坂本龍一さんがアカデミー賞作曲賞を受賞していますが、1987年度のアカデミー賞でノミネートされた9部門全てでの受賞という快挙を達成しています。
残念ながらベルナルド・ベルトルッチ監督は2018年11月26日に亡くなられました。
大手予備校の歴史の大先生には感謝しかありません。