ココニコのキモチ

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いろどり工房ココニコ管理人(ボランティア)のキモチブログです。日常生活と本職(教育分野)の気づきのお話をしています。

間合いの作法

曜日の午後、自由時間を作る事ができたので田町へ出かけました。
20代の時の仕事場は田町にあったので、懐かしい街です。
つい当時を想い出しながら、あちこちうろうろしてしまいました。
東京タワーの見える道。

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毎朝、東京タワーを見上げながら仕事場に向かうというのは、いいものです。
自然と意識が前向きに変わります。

目的地に着きました。

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慶應義塾大学です。
40人弱の部屋に入ると慶應の大学生、あちこちの大学の先生方、企業の人が数人。
日本認知科学会で「間合い」に着目している分科会の集まりです。

今春に発展的閉校にしましたが、自分では秘密基地と呼んでいた施設で小中高校生と保護者の方々と3年間、相対していた時の自分の隠れテーマのひとつが「間合い」でした。
生徒一人ひとり、保護者一人ひとりとの間合いの取り方はいつも試行錯誤でした。
最初は勘でした。
AIも活用してみたりしました。
人と人が接する時、そこには「間合い」が存在します。
人にはそれぞれ好みの「間合い」があります。
私は遠めの「間合い」が好みです。好みというより、楽だからだと思いますので、どんなに親しくなっても微妙な「間合い」を保とうとします。
でも自分の「間合い」で生徒や保護者と接していると、うまくいきません。
3年間の最初の1年はこれで苦しみました。
2年目は慣れと開き直りがあったのでしょうが、相手に合わせた「間合い」がとれるようになったと自負しています。
3年目は最適な「間合い」が作れたという実感がありました。
2年目の試行錯誤の最中に日本認知科学会のある方から教えて頂き、「間合い」を真剣に考えるきっかけを得て、それ以来、「間合い」は私の大事な研究テーマのひとつになっています。別に仕事としてやっているわけではないので、余計にのめり込めているのだと思います。

1年目の時、目の前にいる生徒にとってはうっとおしい「間合い」をしていたと思います。困りもしないのに密着したり、気を散らせたり、「間合い」の大事な要素の「タイミング」も無茶苦茶でした。
3年目は生徒の「親子の間合い」もゆとりを持ってみることができるようになったので、適切な支援ができたと思います。
学びの場面では自分と生徒の「間合い」は集団指導よりはかなり近いが、個別指導よりは少し遠いというのが適していた生徒が多かったのですが、生徒一人ひとりの本能や育った環境にも影響されて適切な「間合い」は異なってくるので、指導観察は全員と超近いが、行動は一人ひとり最適の「間合い」が存在します。
学びの場は規模や集団か少人数か個別かによって観客でいることを許される学びの場から、参加者でいることを求められる学びの場までいろいろあります。
生徒を伸ばす「間合い」というものがあるので、本気でその生徒のことを考えたら、目の前にいる生徒を転塾させるということも考えないといけない場合があります。受験生だとなおさらです。今春、我が秘密基地を閉校するにあたっては、生徒を伸ばす「間合い」も考え、キミは3月からここがいい、あなたはここがいいといったことを伝えたのですが、本当は様々なタイプの学びの場を提供できる企業の力があればなぁと思ったものです。

1対1の個別指導は月謝が高くなりますが、問題演習でも解き終わるまで、すぐ隣でじ〜と待たれているのが1対1です。この「間合い」の感覚が合わない生徒は実はとても多くて、保護者の方は高いお金を払っていますが、費用対効果が悪くなっているということはとても多くあります。今の子供は1対1の「間合い」よりも1対4から1対8ぐらいで発生する「間合い」が最適という場合が多いと思います。

子供の学びの場が複雑なのは「間合い」は距離や空間などの単に物理的なものだけでなく、ココロの「間合い」が大きな影響となります。
一方で、保護者に対してはこの人と話したい、この人に相談したい思って頂けるような求心力のある「間合い」が必要です。
「間合い」は奥が深いのです。

さて、日本認知科学会の「間合い」の集まりですが、いろいろな発表がありましたが、少しだけご紹介。

静岡大学の名塩征史先生
「何が始まるか」を伝える一振り:年少者向け空手教室における個別指導の間合い

子供向けの空手教室において師範が一人の練習生に対し即興で個別指導を行おうと、その練習生と向かい合った。何かの始まりを予感させる身体の配置や動き生まれている。「間合い」が生まれ、この間合いから繰り出される師範の次なる腕の一振りに注目した発表でした。
話を聞いていて、空手では相手にとっては遠いが自分には近いという間合いを生み出す力が勝利につながるというのが実感できました。対戦者同士技量、体格、気力、構え、癖など、様々な要素でひとつの間ができ、相手の動きによって、自分も動き、この緊張感の中で勝つための間合いを創る。
大前提として、自分の間合いを知ることが必要です。

何が始まるかを伝える一振りが指導者の指導力をあらわしているというのが話を聞いていてわかりました。学習の世界では発問力がこれに相当するのだと思います。
身構え、心構えを実感させながらの指導が大事で、そうするためには空気がピンとしていることが必要です。
反復練習は人工的な型の練習にすぎず、実践的な練習ではないので、血の通った練習にするにはどうするかが指導者の力量なのだと思います。

 

近畿大学の鈴木毅先生の「人の「居方」にみる「間合い」」も興味深い話でした。

鈴木先生大阪大学にいた頃からひたすら常にカメラやビデオを持ち歩き、人がいる風景やシーンを撮り続けています。
人がある場所に居る風景や状況を「居方」と捉えて、たとえば「思い思い」「居合わせる」「たたずむ」「あなたと私」「行き交う」と名付けた居方の中に存在する「間合い」について話をして下さいました。
様々な建物、街の一角の写真が登場しましたが、中でも、埼玉県の宮原町立笠原小学校の写真にはびっくりしました。


宮原町立笠原小学校

https://www.fureai-cloud.jp/kasasho

 

竜宮城のような校舎として有名です。
私も見学したことがある小学校でしたが、児童が帰った後の時間しか見学させてもらえませんでした。鈴木先生の写真は児童がいる時間帯の写真でした。私にはステキな建物、施設、環境という印象だけだったのですが、児童がどういう形でここを利用しているのか、存在しているのかというのは私の創造をはるかに超えていました
鈴木先生はひたすら人がいる場を撮り続けています。
笠原小学校の写真をみて、人が浮かび上がってくる場があるのだと実感しました。
人が動くと建物に手応えが出てくると表現されていましたが、建築は形としてのデザインから手応えのデザインになることが大切なのだというのが実感できました。
関係性のデザインとか間合いのデザインが必要で、人の存在をどこまで考えて創るかが勝負なのだと思いました。

写真の中に新宿三井ビルの55広場も登場していました。
7月に勤務先の場所が変わるまでいたビルでした。
人が少なくてもさびしくない場所として創られているそうです。
なるほどというのが、実感できました。
ちなみに、55広場の55というのはGO!GO!ではなく、三井ビルが55階建てだからです。

これ以上発表内容の詳しいことを書いていくと差し障りがあると思いますので、このくらいでおしまいにしますが、場のあり方を考える時に、具体的な人のたたずまいや動きをどこまで具体的に考えられるかということがこんなにも大切なのかというのを知った研究会でした。