ココニコのキモチ

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いろどり工房ココニコ管理人(ボランティア)のキモチブログです。日常生活と本職(教育分野)の気づきのお話をしています。

町田の8階と7階の水木しげる先生

2/16(火)から2/22(月)まで、我が奥様は町田の小田急百貨店でクラフト展というのに出ています。
私も20日(土)に少しだけ寄ってきました。同じフロアでリサイクル着物の展示があるためか、結構、人通りがある様子でした。
激励をして、本人以外は写真は撮れないので、持参したカメラでパシャパシャとしてから邪魔になってはいけないと退散しました。

クラフト展は8階だったのですが、いざ7階へ。
実はどうしても行きたいところがあったのです。
7階で「水木しげる版画展」をしていたのです。
版画展で頂いたはがきがこれです。

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私は東京都調布市で育ったのですが、自宅から小学校への通学路の途中に水木しげる先生のご自宅がありました。ちょうど私が小学生の頃、ゲゲゲ鬼太郎が誕生し、人気が出始めていました。
小学生の頃、小学校の隣にあるお寺とお墓で不謹慎ですがよく遊びました。悪ガキ3人でいつもそこで遊んでいました。ある日、お墓の前にある一軒家にゲゲゲの鬼太郎の作者が住んでいるというのを偶然に知りました。小学生にとっては怖い物などないという感じですごしていたので、学校の帰りに水木しげる先生の家に「こんにちは~」と3人で突撃しました。

今でもこの時のことが鮮明に残っています。

今、残っている記憶は心底「怖い」という気持ちです。

ガラガラと玄関をあけ、まず出てきたのは奥様でした。

仕事中なのでと言われて、え~と大合唱したことを覚えています。

何度もみんなでえ~と叫びました。

でも、しばらくして、水木しげる先生が玄関に出てきてくれました。

大歓声でした。

ニコニコしながら出てきてくれた光景は今でも目に焼き付いています。

鬼太郎の絵はがきをくれたのですが、その時、友だちが「あっ」と言って水木しげる先生の体をじっと見ました。

水木しげる先生は戦争に行かれたことがあり、その時に片腕をなくされていました。鬼太郎の漫画家先生にひと目会ってみたいという動機で乗り込んだのですが、「あっ」と友だちが言ってから、なぜ腕がないのかとか、戦争の怖さについて短い時間でしたが話をしてくれました。ニコニコしながら話をしてくださいましたが、目がとても怖かったと後になって3人で話をしました。小学生の訳のわからん子ども相手に、戦争というのはなということをまじめに話してくれたのは、水木しげる先生らしくもあり、自分にとってはとても大切な経験になっています。

水木しげる先生は昨年の11月30日に93歳でこの世を去りました。
人は人によって影響を受けたり、変わるきっかけを得たりするものだと思うのですが、私にとってはそのひとりが水木しげる大先生です。

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ですが、笑顔の奥にある心の強さ、信念がココニコらしさなのです。

以上、いろどり工房ココニコのホームページ管理人(ボランティア)のお話でした。
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